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日本で最初のコンタクトレンズの話
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わが国最初のコンタクトレンズ装用者は、ニチコンから誕生しました。
 写真:水谷 豊
コンタクトレンズは現在、視力補正用の医療機器として広く定着し、使用者は年々増え続けています。実はこの分野の研究、製造の草分け企業こそ、日本コンタクトレンズ(略称:ニチコン)なのです。
昭和24年(1949年)11月のある肌寒い日、名古屋大学眼科に母親に伴われた1人の高校生がやってきました。診察を担当したのは当時講師で、後にニチコン創業者の一人となる眼科医の水谷 豊(故人)でした。「やっと高校へ入ったが、目がよく見えないので成績が悪く、将来のことを考えると本人も神経質になっています。なんとか治りませんか」と母親は涙ながらに訴えました。患者を見ると角膜が突出してくる「円錐角膜」という眼疾患で視力は右目0.02、左目0.04でした。眼鏡では視力矯正ができないため、処置方法に窮した水谷は眼科全書にあったガラス製コンタクトレンズの報告を思いだし、「それに似たものを自分で作ってみるから、少し待ってくれないか」と話しました。水谷は歯科材料で眼の型を取ることから始めて、自宅の台所で毎夜、高校生を救いたい一心で夢中でコンタクトレンズ作りに勤しんだそうです。

 写真:レンズをはめる高校生
そして苦心の末、昭和25年(1950年)にコンタクトレンズが完成しました。さっそく治療を約束していた高校生を呼んでコンタクトレンズをはめてみたところ、視力は右目0.9、左目0.4まで回復。「患者の驚きと喜びもさることながら、私もその奇跡にあぜんとし、患者が視力表を暗記しているのではないか、夢ではないかと、そっと頬をつねってみた」と水谷は後に語っています。「さらに改良すれば、世の中の目の悪い人をもっと救うことができる」そう考えた水谷はさらなる研究を進め、1958年には本格的なコンタクトレンズ生産にのりだすため「合名会社 日本コンタクトレンズ研究所」を創業、これが現在の日本コンタクトレンズの前身です。
水谷 豊によって視力を取り戻した高校生の喜びが、私たちニチコンの原点です。ニチコンのコンタクトレンズは、この最初のコンタクトレンズのDNAを綿々と引き継いでいる歴史と技術の結晶です。
株式会社
日本コンタクトレンズ
〒454-0825
名古屋市中川区好本町
3-10
TEL:052-363-2750(代)




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